お知らせ
①「知は力」基礎理論を身につけ、運動に確信を持ち、世の中を変える力に【第1章】 「すべての人」の人権を大切に~人間的で民主的な連帯・共同
【埼玉土建本部】
つぶやき(学習)
埼玉土建では毎年「労働学校」に取り組んでいます。この労働学校では、「ものの見方や考え方」「資本主義社会の仕組み」「組合の歴史」といった基礎理論を学び、身につけ世の中にあふれている「おかしさ」の原因に気づく力を付けどうすれば解決できるのか、労働組合としてどうたたかっていくのか、さらには一人の人間としてどう生きていくべきなのかなどを学んでいます。
今回から不定期で労働学校で学んでいる一部を紹介していきたいと思います。
人権を尊重し、ありのままにとらえて実践
~「すべての人」を大切に、「科学の目」「変革の目」「団結の目」を身につける いま私たちは、ものごとを根本的に考え、行動しなければならないときにきています。暮らしはどうでしょうか。仕事がなかったり、あっても劣悪な労働環境や不当に低い賃金ということもあります。まともに働いても、家族のなかに介護が必要な人や高齢者、病人をかかえている、あるいは子どもの教育問題などによっては、暮らし向きは大変になってきます。一方で、企業のもうけが優先され、人をモノのように扱い、暴力的・権力的に支配する人間関係がブラック企業だけでなく、学校やスポーツ団体、家族のなかにも広がっています。
「これから私や家族の生活はどうなるのか」「もうすこし人間らしい暮らしやすい社会にしたい」──誰にでも、よぎる思いです。
この「思い」には、根本的な中身がふくまれています。
ひとつは、自分の生活といまの日本社会のあり方にたいして、不安と疑問をもっていること、ふたつは「人間らしく生きたい」「何とかしたい」という未来に向けての「思い」をもっていることです。この根本的
な「思い」を、まとまった形で表現すると、人を大切にすること(人権)、ありのままにものを見、考えること(科学の目)、生活・社会を変えること(変革の目)につながります。
「なぜ貧困や格差がひろがるのか」「なぜ賃金が低いのか」「なぜ景気が悪く、国の財政が借金漬けなのか」「なぜ原発事故はおきたのか」──こういう疑問を解くためには、ありのままに事実を見て、考え、そこから真の原因や本質を科学的に解明しなければなりません。そして原因や本質が明らかになれば、解決の方向、変革の展望も見えてきます。
同時にこの社会では、社会の変革をおしとどめようとする勢力や「もうけさえあげれば、あとは野となれ山となれ」と考えている勢力もいますから、生活を改善し社会を変革するには団結を強化し、その力をどのように強くしていくのかが問われます。つまり、私たち一人ひとりに「人権」「科学の目」「変革の目」「団結の目」を一体にした「ものの見方・考え方」が求められているのです。
日々の生活の大変さから希望や展望を見いだせなくなり、結果として、間違った価値観にとらわれないよう、仲間とともに「ものの見方・考え方」の基礎を一緒に考えていきたいと思います。
生き方の悩み
私たちはさまざまな人生体験をし、見聞きし、学びながら生きています。その中で培つちかってきた、人生についての考え方(人生観)を持っています。日々生きていくだけでも大変な世の中ですから、さまざまな問題にぶつかり、そのたびに選択、判断が問われ、どう生きたらよいのか迷い、悩むことがあります。
現代の日本社会は、もうけることが優先され、人がもうけのための道具、モノのように扱われています。建設産業では、賃金すら人に ん工く という名で経費と一緒にして支払われたりしており、まさに人間がモノとして扱われています。正当な賃金・単価を請求すれば「仕事は来ないぞ」と脅され、極度な競争を強いられています。
なんらかの権力を持った人間が、他の人間を支配し暴力的に無力化するハラスメントが、会社だけでなく学校、スポーツ団体、そして家族、男女の恋愛関係など日々の生活の中でも広がっています。「格差と貧困」の中で差別・分断が広がり、社会的弱者を排除する風潮もあります。「男らしさ・女らしさ」の役割分担を強調する風潮も根強くあります。個人の尊厳が侵され、一人の人生が狂わされる深刻な事態が起きています。
このような社会のなかで生きていると、「人なんて信じられない」「うまく立ち回るしかない」と、世の中や人間に対して不信感を強め、あるいは「自分はダメ人間」と自分を追いこむ人生観も生まれます。
他方で、「非人間的なことは許せない」「差別は許せない」「おかしいことはおかしい」という人生観や、人と連帯し団結する体験のなかから、「困っているときこそ、人は助け合わなければいけない」「団結する生き方が大切」という人生観も生まれます。
人生観は、その人が体験のなかから、人生で何が大切なのか(あるいは「何が大切ではないのか」)について自分なりにまとめた考え方ですから、同じ人のなかでもいろいろな思いが浮かび、悩みます。そこで豊かな人生観をつくるためには、自分の体験も大事にしながらも「人間が生きるとき大切な価値は何か」を考えることです。
支配層が流す価値観とは
生きるときに何を大切にするのかという価値観は、支配層もさまざまな形で大規模に流しています。
「新自由主義」は、「既得権を打破」すると声高に叫び、「個人の自由」を尊重するという漠ば く然ぜ んとした気分を流しながら、じつは大企業のぼろもうけ、とくに金融的なぼろもうけを上げるための規制緩和を柱に、社会の中に競争をあおり、分断・格差を持ち込みます。そしてもうけをあげることに貢献できない人間は「ダメ人間」、競争に負けたのは「自己責任」だという価値観を強調します。最近は「人づくり・生産性革命」論が強調されていますが、これも、企業のかせぐ力(生産性)を高めるためのものです。
「日本が滅んだら終り」「国家という共同体があって個人も生きられる」「日本の財政は深刻だからがまんしろ」という言い方で国家を強調する価値観も流されています。
これらの価値観に共通しているのは、個人よりも生産性向上によるもうけや国家が大切だという価値観です。そしてこの価値観を押しつけるために、権力的支配や抑圧、ウソや事実の隠ぺいが必ずともなっています。その行き着く先は、個人の生き方をも支配するファシズムであり、もうけのため、国家の安全・財政のために、命まで差し出せ──「死は鴻こ う毛も うより軽し」ということになります。
「自己責任」の価値観にはまってしまうと、不当なことがおこなわれても「おかしい」と声を上げるのではなく、「不可能と思ったら負け組」と自らを過密労働に追い込み、あるいは「自分はダメ人間」とあきらめてしまいます。人間をモノのように扱い、人間を権力的に支配・抑圧する風潮に流されていくと、場合によっては、強いものへ従属し、身近な相手を攻撃し差別・支配しようとする欲望すら生まれます。
チョット補足 日本では、小さい時から「他人に迷惑をかけるな、がまんしろ」と言われて育つことが多く、人を頼ることにためらいがうまれるといわれています。明治時代から「人が貧困に陥るのは、その人の努力がたりないからだ」という「通俗道徳」が流されていました。貧困に陥ったのは努力が足りない、だから「ダメ人間」というわけです。そして「欲しがりません、勝つまでは」という戦争推進の道徳が接ぎ穂されます。1990年代から本格的に「新自由主義」がはじまり、「自己責任」論の価値観が大規模に増幅されました。第4課で詳しく学びますが、1995年に財界が発表した『新時代の「日本的経営」』で「新自由主義」が本格化し、小泉内閣の「構造改革」で社会のあらゆる分野ですすめられました。 |
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