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埼玉土建の歴史と活動⑤~埼玉に根をひろげて発展-6000人の組織建設めざし

【埼玉土建本部】

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不定期で、埼玉土建の歴史と活動(ダイジェスト)を紹介していきます。
皆さんに埼玉土建の事をもっとよく知っていただけると嬉しいです。

【第5回】埼玉に根をひろげて発展

1970年代に入ると、「高度経済成長」政策は終わりを告げ、1971年(昭和46)には、アメリカが金保有高を激減させ「ドル危機」におちいり、金とドルの交換を停止、変動相場制に移行。73年には、石油産出国によって石油価格が大幅に値上げされ、「石油ショック」が全世界をおそい、世界の同時不況をもたらしました。そして日本経済は、不況とインフレの同時進行という事態におちいり、国民生活に深刻な影響を与えました。第1回先進国首脳会議(サミット会議・75年11月)が開かれたのは、こうした世界資本主義の諸矛盾に対応するためでした。
こうした中で、1970年に日米安保条約の固定期限が切れることから安保廃棄の闘争が、沖縄返還闘争やベトナム侵略戦争反対とあわせ大きく発展しました。

結成後、最初の大きな取り組み 6000人の組織建設めざし

埼玉土建の最初の大きな取り組みは、次の定期大会までに組合員を6000人にする拡大運動でした。職業訓練指導員資格取得や税金闘争、土建国保の宣伝、補助金獲得のたたかいなどとあわせ、秋・春の拡大月間に取り組み、第2回大会までのわずか6カ月間で組合員5人に1人の割合(20%)で拡大しています。
この取り組みをつうじて、組合員拡大は、要求実現と組織と運動のうえで欠かせない重要なものであることを確認し、組織建設を目的意識的・計画的にすすめる必要性と、やればできる
という確信を深めました。そして第2回定期大会で、単年度の拡大計画から「中期計画」の策定をすすめていきました。

埼玉革新県政の誕生

埼玉土建が、地域とむすびつき諸団体と力をあわせ取り組んだ最初の大きなたたかいは、1972年(昭和47)7月の埼玉県知事選挙でした。
組合を結成してわずか6カ月後でしたが、知事選を運動の重点に位置づけ、闘争本部を設置し「明るい革新県政をつくる会」に加盟、組合の総力をあげてたたかいました。
知事選は、「埼玉燃ゆ」といわれる激戦をたたかいぬき、畑は た和やわら革新県政を誕生させました。この勝利の要因は、埼玉で社会・共産両党と民主団体・労働組合が結集し、政策協定、組織協定にもとづく持続的な共闘体制=統一戦線がつくられ、世論をうごかし支持をえる力を発揮したことにあります。これは埼玉土建が結成大会でかかげた革新統一戦線の方針が生きるものとなりました。

1972年、県庁に掲げられたたれ幕

1972年、県庁に掲げられたたれ幕

 

【過去の歴史ダイジェストはこちら】

埼玉土建一般労働組合の結成まで
【第1回】埼玉に自分たちの組合を
【第2回】日雇健保改悪、犠牲適用廃止とのたたかい
【第3回】埼玉土建国保設立、総合共済の発足~9支部 4085人で埼玉土建を結成
【第4回】埼玉土建結成の意義

 

 

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